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 2005年03月20日(日)   プロの仕事
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ダイエット中なのにも関わらず、

日記を書き始めるとついつい手が伸びてしまうチョコレート。

食べる量はかなり減りましたけどね。

でも喰ってる時点で終わってますね…









だって、少し食べると集中力が上がるんです。

気持ちの問題でしょうけど…









山田とゐちです。


こんにちは。






先日、美容院に行った事を書いた所、

一体どんな髪型になったのか見せろという要求が何件かありました。

って言っても美容師さんには毎度 『 いつものでお願いします 』 としか言わないので、

ホントにいつも通りです。






花粉のせいで目が充血しまくってます。

この際だから眉毛も整えておきました。 ( 馬鹿



そんな事はさておき、、


オイラね、ここの所4〜5年位髪型変えてないんです。

宣材写真 ( プロフィールに貼り付ける写真 ) を撮影するの面倒だから。

髪型変わる度に写真撮り直してたら金がかかってしょうがないですしね。

かといって、プロフィールの写真と実際の自分が違う髪形してると、

オーディションなんかで 『 髪型違うやんけ 』 とツッコミ入れられる可能性があるからです。

CMなんかは特にプロフィールの写真を重視する事が多いです。

で、書類が通り、面接なんか受けると

『 写真の髪型が良かったから書類審査通したのに… 』

とガッカリされたりとかね。

だから出来るだけ髪形は変えないのです。

まあ、仕事で 『 坊主にしろ 』 って言われたら剃っちゃいますけどね。


とにかく何が言いたいかというと、

4〜5年もずっと同じ髪型をキープしてくれる美容師さんの力は凄いなと。


美容師という仕事は、芝居と同じで、

その時の心情、体調、気分によって出来不出来が左右されがちだが、

そういう今の自分の心や体の変化を結果に見せない所がプロだなぁって。

自分の親が死んでも、自分の子供が生まれても、風邪でぶっ倒れそうでも

何も変わらずいつも通りに切る事が出来るのです。

そういう人がプロと呼べるワケで、信頼出来る人だと言えるなと。

だからオイラは4〜5年ずっと指名し続けている。


きっとこの先、仮にその美容師さんが独立してしまったら、

実は同じ美容院で働いている、ひそかに 『 カワイイな♪ 』 って片想いを抱いている

アシスタントの子を素直に諦め、オイラもその新しい店に通う事になるだろう。



オイラも、心情や体調や気分によって芝居が変わるようではまだまだ甘い。

髪を切る度にそう思ふのです。






一昨日書いた青鬼爺さん事件について、こんなメールを貰った。



100均のパンツ愛用者さん

 今回の80歳の爺様記事に対して、僕はこの事件に遺憾を覚えました。
 昔の人ならではの背景事情を考えてしまったからです。
 昔の人の結婚時期は早かったですから。
 年齢から考えても50年は連れ添ってるのではないかと。
 昔の女性ってのは今と違って自分のやりたい事等も殆ど押さえつけられて
 自由に出来ない状態の半生を過ごしてきたんじゃないでしょうか?
 それをあんな理由で殺した旦那さんに極めて遺憾でした。



実はオイラも、全く同じ考えをもってました。

おかずの量が多い!って文句をつける時点で間違ってますよね。

奥さんの方は色々考える所があっておかずの量を増やしたのかもしれないし。

とにかく、この二人の時代は 『 男が上、女は下 』 という考え方が定着してる時代です。


確かに殺した事は遺憾に思いますが、

この爺さん、後からかなり反省というか、後悔したんじゃないかって思います。

記事には 『 職務質問中気持ち悪くなって職員が119に通報した 』 と書いてありました。

ひょっとしたらこの爺さん、この奥さんがいなければ何も出来ない人な気がします。

この時代の男は、女がいないとパンツの在り処さえ分からない人が多かったですよね。

殺した後、そんな奥さんの大切さを強く感じ、自分のしてしまった事の重大さに気づき、

そして具合が悪くなったんじゃないでしょうか。


いや、オイラの勝手な妄想ですけどね、これ。。





ところでこの記事を見て、うちの母親の事を思い出しました。

オイラの母親は、何も言わずただ男である父やオイラや弟の言うとおりに動いていました。

『 明日6時に起こして 』 と言えばその時間にちゃんと起こしてくれたり。

『 お茶持ってきて 』 と言えば冷蔵庫から冷たい麦茶を持ってきてくれたり。

『 アイスクリームが食べたい 』 と言えばアイスクリームを買いに行ってくれたり。


うちは完全なる 『 男が上 』 という家庭でした。

子供の頃、それが当たり前だとオイラは思ってました。


でもそんな母親を見て、子供の頃から思っていたことは、

『 オイラ達に尽くしててそれだけで楽しいのかな、貴方の人生は? 』 でした。




そんな母親が今年の正月、オイラにポロッと漏らしました。


 実はねアタシ、歌手になりたかったの。


母は二十歳で結婚し、二十一才でオイラを産みました。

それからずっと、この我侭な父とオイラと弟の面倒を嫌な顔一つ見せずやり遂げてきました。


オイラは俳優がやりたくて、親の反対を押し切り東京に出てきた。

オイラは長男だし、通常なら実家の岐阜に残り、結婚して親の面倒を見なければいけない。

本来なら今まで我侭ばかり言ってきた、そのお返しをすべき年齢である。




オイラは聞いた。


『 やりたい事が出来なくてそれで満足なのか? 後悔しないか? 』


すると母親は、


 今とても幸せだから、それだけで十分。






オイラはその時、 『 プロの母・プロの妻・プロの女 』 を見た。


そしてオイラは今、最高に親不孝をしている。






以上です。


お疲れさまでした。





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